マタイ受難曲は半分くらいがパクり?バッハもマーケティングをしていた意外な事実

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マタイ受難曲はぱくり?

「みんなマーケティングをしてきた」第一回の記事は作曲家バッハを取りあげる。クラシック音楽を知らない人でも、バッハの名前くらい知っているでしょう。みんな知ってるバッハ、みんな大好きバッハ。

目次

  • 世界史の教科書に名前が出てくる作曲家はバッハくらい
  • 神聖視されるバッハ
  • バッハにマーケティングが必要な理由
  • マタイ受難曲は半分くらいぱくり?
  • 命がけのマーケティングをしたモンテヴェルディ
  • マーケティングしなかった天才メンデルスゾーン
  • おわりに

キリスト教の基礎がないバッハがなぜ日本でここまで愛されるのかはよく分からない。CD-BOXでバッハ全集が発売されている国などそう多くないのだが、日本ではしっかり発売されている。

世界史の教科書に名前が出てくる作曲家はバッハくらい

私の愛読書の一つ『西洋音楽史大図鑑』というのがある。たいていこの手の本は作曲家が年代順に一人ずつ紹介されていくのだが、バッハとベートーヴェンの二人だけは観点を変えて二度出てくる。

それに、世界史の教科書に名前が出てくる作曲家はバッハくらいもの。バッハは、それくらいクラシック音楽においては特別な作曲なのだ。

私のもう一冊の愛読書パウル・ベッカー著の『オーケストラの音楽史』によると、「西洋音楽においてバッハは大地で、ベートーヴェンはバッハの大地に立つ樹の幹で、他の作曲家はベートーヴェンの樹の枝や葉である」としている。バッハとベートーヴェンはそれくらい特別な存在というわけです。

さて、これだけ有名なバッハだが、彼はいったいなぜマーケティングをする必要があったのだろうか。

神聖視されるバッハ

バッハクラシック音楽が好きな人の中には、バッハを崇拝していて、バッハを神聖不可侵な偉大な大作曲家だったと強く思いこんでいる人が一定数いる。特に音大に通っている、または通っていたまじめな音楽家の中にはこういう人がたくさんいそうである。

バッハが偉大な作曲家であることに何ら異存はないのだけど、私はバッハを神聖不可侵な扱いをするのにはかなり違和感がある。

なぜなら、少し考えれば分かるけど、バッハも一人の人間であり生活があったはずだから。

バッハを「偉大な天才作曲家」と型におしつけたような捉え方をしていてはその実像が見えてこない。いかに不世出の天才作曲家であったとしても、思いつきで自分の好きなように日々作曲していたはずがない。バッハにも日常の生活があり、金を稼ぐ必要があったはずだ。

そう、我々となんら変わらない一人の人間だったのだ。バッハの時代から300年の時を経ていて、子どものときに音楽室で見たあの肖像画や、素晴らしい名曲の数々などの印象から、バッハにも当然日常生活があったことに思い至る人は少ないのではないだろうか。

バッハにマーケティングが必要な理由

バッハの時代、音楽家は宮廷に仕え作曲したり演奏するのが常であった。バッハもそういう音楽家の一人だったのだが、彼はドイツ各地を転々とする。

ありがちな話だが、気が強いために、仕え先の貴族と相性が悪いと他の宮廷に移るということを繰り返した。移転先で音楽家として認められるには、聴衆が聴きたい曲を作曲しなければならない。そうしないと金を稼げない。かなり端的に書いたが、これがバッハにマーケティングが必要な理由だ。

これは例えば、サッカー選手が移籍先のチームで求められる役割をこなそうと必死にプレーするのと変わりないよね。

マタイ受難曲は半分くらいぱくり?

ではマタイ受難曲を例にして、バッハのしたマーケティングの工夫の一例を紹介しよう。

バッハが活躍したバロックより前の文化的な時代区分をルネサンスという。この時代にも作曲家はいて多くの曲が残されている。クラシックがよほど好きでない人以外にはあまり知られていないがハインリッヒ・シュッツとか、ペルゴレージなどは心を揺さぶる名曲を残している。

さて、バッハの最高傑作と称される『マタイ受難曲』だが、ルネサンス的な様式をベースに、バッハは自分の色を付け加えていった。全曲がバッハのオリジナルというわけではないということだ。では『西洋音楽史大図鑑』からバッハの施したマーケティングを引用する。

バッハは何百というそのメロディをしばしばカンタータやコラールの前奏曲の土台とし、それに和声を施した。『マタイ受難曲』で用いられているコラールのメロディは1525年から1656年の間につくられたものであるため、聴衆にはなじみのあるメロディだったに違いない。ほとんどは4声のハーモニーを持つ曲に用いられたが、ほかの楽章の伴奏として用いられたコラールも3曲ある。

このようにして、バッハは既知のものと新しいものをうまく融合させることができた。ーーこれほど力強く大規模な作品をはじめて経験する会衆にとっては欠かせないことだった。p103

というわけで前時代の作品を引用することはパクりでも何でもなく、当時としては当然の工夫だった。

すでに受け入れられているものに自分の色を付け加える。これがバッハの施したマーケティングだ。決して思いつくままに自由に曲を書いていたわけではないのだ。自分の曲が受け入れられるためにどうすればいいか苦心惨憺考え抜いた。引用と自分のオリジナルの配分をどうするかなど悩み抜いたはずだ。なお、松岡正剛さんはこういう営みを「編集」と表現している。

命がけのマーケティングをした?モンテヴェルディ

モンテヴェルディバッハより100年ほど前のモンテヴェルディという作曲家も自身の作品にマーケティングを施している。彼の場合は命がけである。

モンテヴェルディの話の前に用語の解説をしておこう。

プリマ・プラティカ(第一作法)
ルネサンス期の主流の音楽で、すべての声部が対等なポリフォニー
セコンダ・プラティカ(第二作法)
ソロの声部に重点をおくより自由なバロック様式

彼の代表作『聖母マリアの夕べの祈り』ではルネサンス期の典型であるプリマ・プラティカに、モンテヴェルディ色の濃いセコンダ・プラティカを付け加えた。この第二作法はルネサンスからバロックの橋渡しをするような音楽で、第一作法よりハーモニーが大胆になりソロが活躍したりする。

モンテヴェルディの主張したかったことは明らかに第二作法だが、この第二作法だけに則った曲を書くと、あまりに急進的であるからと教会勢力に迫害される可能性があった。当時はそういう時代なのだ。だからすでに受け入れられていた第一作法を自分の音楽に取り入れて折衷した。これが身の安全を図りつつ自分の曲を発表する手段だった。人によっては「バッハもモンテヴェルディも妥協した」と思うかもしれないが、これがマーケティングの現実である。自分の好き勝手にやって生活ができなければ何の意味もない。

なおモンテヴェルディは『聖母マリアの夕べの祈り』を発表した後、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の楽長に就任した。大胆なマーケティングをして自身の音楽をアピールし、最終的には権威ある地位を手に入れたのだから、人生ゲームでうまくふるまっていい上がり方をしたと言える。その一方有名だったのに晩年が不遇だったのがヴィヴァルディだが、別の記事で紹介することにする。

マーケティングしなかった?天才メンデルスゾーン

メンデルスゾーンメンデルスゾーンはバッハの死後60年ほど経って生まれた天才作曲家で、金持ちのユダヤ人である。メンデルスゾーンはマーケティングをしなくて済んだ希有な例だ。

メンデルスゾーンは金持ちであり、生活を気にせず自分の好きなように作曲できた。しかも天才だった。彼の作品は10代の頃に書かかれて今日なお誰もが知る曲がある。『真夏の夜の夢』がそれで、結婚行進曲を知らない人はいない。他にもそれはもう流麗で美しい作品ばかりである。彼は金持ちでかつ天才だったのだ。そのため生活や聴衆に気に入られるために作曲しなければならないという動機が薄いのだが、それでも彼の作品は人気を博した。

もちろんメンデルスゾーンが聴衆に受け入れられる工夫をしなかったわけではない。実際はマーケティングをしていたはずだ。ただ、他の作曲家に比べればその動機は薄かったと言い得る。

マーケティングの観点からすると、金持ちの天才のような人物には再現できないから憧れてはいけない。メンデルスゾーンのような人物は例外なのだ。だから憧れてはいけない。私がこの記事でバッハを取りあげたのは、天才でも受け入れられるために工夫をしていたことを知ってほしいからである。この観点からするとメンデルスゾーンはマーケティングの参考にあまりならない。それでも紹介したのは、偶然が重なって運良く成功することがある事実を知っておくのは悪くないと思うからだ。これもいずれ別の記事で書くことにする。

余談だが、バッハの死後、彼の作品は長らく埋もれていたが、マタイ受難曲はメンデルスゾーンによって発見され1829年にバッハ没後に初めて公に演奏されることになる。指揮したのは20歳のメンデルスゾーンだ。

おわりに

自分の意見や作品がよく多くの人に受け入れてもらうために、すでに受け入れられていることを流用するのは当然で、そこに自分の色を加えていくのが定石である。例えば、転職すると決心したら、転職先で必要となるスキルの勉強をしたり、資格を取ったりするでしょ。転職までの自分の経験と新しく勉強することを組み合わせることで、新しい仕事ができるようになるのだから。これも立派なマーケティングです。

このブログの著者
早川 朋孝 ITコンサルタント

利便性だけを追求するITシステムに未来はないと考え、人文知からこれからのITシステムのヒントを得ようと奮闘中。
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